ホームページ20年自作史 ― ワープロが壊れた日から、AIと付き合う今まで

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1994年、ワープロが壊れたのがきっかけだった

ホームページが欲しいと思ったのは、1994年のことでした。きっかけは単純で、それまで使っていたワープロが壊れてしまったのです。年末にMacの廉価版「Performa」を購入しましたが、当時はインターネットもパソコン通信もよく分からず、「パソコンを買えばすぐにインターネットができるもの」だと本気で信じ込んでいました。

解説書を開いても専門用語がさっぱり分からない。それでも、ワープロにはなかったDTP編集ができることが嬉しくて、電源の入れ方からフォントの切り替えまで、覚えるのに丸々2週間かかりました。

「パソコン通信」と「インターネット」が別物だと気づくまでに3ヶ月。さらに、自分のホームページを実際に配信できるようになるまで、そこから4ヶ月。半年がかりでようやく形になったホームページは、今振り返ると本当に頼りないものでした。

本物のインターネットには「ブラウザ」が必要だった

並行して、東芝のワープロ「ルポ」が壊れたのを機に手に入れたパソコンは、HDDが800MB、メモリは16MB。今では信じられない性能ですが、当時のソフトは軽く、それでもそこそこ動いてくれました。

最初は「インターネットをしてみたい」とNiftyに入会したものの、実際は「パソコン通信」というもので、いつまで経っても画像すら出てきません。「これがインターネットなのか?」と首をかしげたまま3ヶ月が過ぎ、ようやく本物のインターネットには「ブラウザ」が必要だと知りました。2000円で買ったのがNetscape Navigatorのバージョン2。つないでみて、初めて「世界」につながった実感がありました。

「shiatsu」で検索して見つけた、世界の同業者のページ

試しに「shiatsu」と検索して出てきたのが、オランダ人の指圧師、Rian Visserさんのページでした。毎日数百アクセスがあるのを見て、素直に驚きました。「自分も世界に発信しなければ」と決意し、ホームページ作りに挑戦することにしたのです。

HTML手打ちで半年格闘、そして拍子抜けの一言

ところが、パソコンさえあればページが作れると思ったのは大間違いでした。HTML言語がまったく分からない。本を3冊、5冊、やがて7冊と買い足し、半年ほど格闘しました。

ようやく9割ほど形になったころ、知人のIBMの方に「HTMLを手打ちしている」と話したら大笑いされました。「ソースは気に入ったホームページから拝借すればいいのに」と。――なるほど、その手があったか、と拍子抜けしたのを覚えています。

英語ページは、周りの人の力を借りて完成させた

日本語ページは何とか形になったものの、問題は英語でした。英語ができない私は困り果てましたが、幸い仕事柄いろいろな人とのつながりがあります。毎日少しずつ翻訳をお願いし、最終的には通訳の心得がある方にまで手を貸していただきました。おかげで何とか国際的なホームページが完成したのです。

世界とつながった実感

「私は海外でインターネットを使ったことがないのですが、ホームページの文字は普通に見られるのでしょうか?」――そんな素朴な質問を、当時マレーシアの島に滞在していた友人から受けたことがあります。英語が話せる彼女は、世界各地の人と自由にコミュニケーションを取っていて、それがとても羨ましく思えました。

ある日遊びに来てくれたときも、スカイプで世界各地の人と話をしていました。その中にサウジアラビアの方がいたのですが、どうも様子がおかしい。「もしかして飲んでいたのでは」と聞こうとしたら、彼女に強く止められました。イスラム教徒にとって飲酒はご法度。不用意な質問は「傷口に塩を塗る」ようなものだったのかもしれません。それでも、かなり飲んでいたように見えたのですが。

ホームページ経由で、海外の患者さんが来院した

仕事場にも、場所柄いろいろな国の方が訪れます。あるとき、インドから来たご家族が「ホームページを見ました」と来院されました。子どもの疳の虫についての相談でした。

改めて実感したのは、ホームページも――というより、インターネット自体がボーダレスになっているのだということです。国内向けに作ったつもりのページが、国境を越えて誰かの目に留まり、実際の来院につながる。この感覚は、当時の自分にとって新鮮な驚きでした。

言葉が通じることの価値

この経験を通じて感じたのは、「通じる言葉を持つこと」の大切さです。日本語だけのページでは届かなかったはずの相手に、拙い英語版のページが橋渡しをしてくれた。今思えば、これは今のインバウンド対応や多言語対応の原点だったのかもしれません。

営業電話という落とし穴

「来春、新しく女性サイトを立ち上げるので特別に無料でホームページを制作させていただきます」――ある日、そんな電話がかかってきました。

「まったくタダ?」と聞くと、「まったくタダです」との返事。そんなうまい話があるわけがありません。過去にも似たような話で痛い目に遭ったことは数知れずです。

面白半分で突っついてみた

面白半分で話を続けてみると、「金銭面でのトラブルがあるので直接お話ししたい」などと口ごもり始めました。タダなのに金銭面のトラブルとは、いったいどういうことでしょうか。

それでも担当者は「制作もSEO対策もプロが責任を持って無料でします」と胸を張ります。「そりゃありがたい」と返すと、「ただお客様の方で管理していただく形となります」ときました。「管理くらいならできますよ」と答えると、ようやく本題が出てきました。

結局、月3万円だった

「当然サーバーで管理していただきますが、そこは当方としてはタッチしません」
「で、いくらなんですか?」
「月3万円ほどかかります」

思わず笑ってしまい、「うちでは無理ですね」と丁重にお断りしました。今どき月300円でサーバーが借りられる時代に、どうして月3万円も払う人がいるのだろうと不思議に思ったものです。「女性サイト」という看板を出せば誰もが飛びつくと思ったのでしょうか。やっぱり世の中、そんなに甘くはありません。

はじめてのサーバー引っ越し

はじめてサーバーの引っ越しをしてみました。ただデータをアップロードするだけの作業ではありません。ドメインの浸透という工程があり、すぐに結果が分かるわけではないのです。最低でも2日はかかるとのことで、しばらくは「ちゃんとつながるかな」と落ち着かない日々になりました。

しかも、元のサーバーの契約期限がギリギリ。ちょっとスリルのある引っ越しでした。さらに2月には、もう2つのサーバー引っ越しが控えていて、しばらくはこの作業に追われることになりそうでした。

「マルチドメイン対応」を選んだ理由

今回選んだのは「マルチドメイン/マルチアカウント」に対応したサーバーでした。以前使っていた「チカッパ!!」はロリポップ系で容量は大きかったのですが、ドメイン数に制限があり、泣く泣く別の会社へ乗り換えることにしたのです。

ただ、試用期間中に少し触ってみた感じでは「チカッパ!!も意外と使いやすいかも」と思う場面もありました。携帯サイトも、この新しいサーバーに引っ越す予定でした。それにしても、最近はサーバー代もずいぶん安くなったものです。ひと昔前を知っていると、本当にありがたい時代になったと感じました。

勢いでPHPの勉強も始めてみた

データベースについてはまだよく分かりませんでしたが、サーバーを触るようになったのをきっかけに、PHPの勉強も始めてみました。「PHPのコミュニティポータルサイト PHPプロ!」を見つけ、とても分かりやすかったのでメモ代わりに整理しておきます。

PHPとLinuxは切っても切れない関係にあるそうです。完成したプログラムはWebサーバに設置して公開しますが、そのサーバのOSとしてLinuxが多く採用されているのが大きな理由とのことでした。

ここでふと疑問に思ったのが、PerlとPHPの違いです。調べてみると、まったく別のプログラミング言語で、サーバ負荷の面ではPHPのほうが軽いと言われているそうです。なるほど、少し理解が進んだ気がしましたが、正直なところ頭が痛くなりそうでした。分からないことが出てきたときは「教えて!goo」がとても便利でした。

hotmailのリニューアルで、知人のアドレスが消えた

hotmailがリニューアルした途端、知人のアドレスが吹っ飛んでしまったことがありました。あれにはさすがに「ありゃりゃ……」と声が出てしまいました。無料とはいえ、アドレスが消えるのはさすがに怖いものです。

5つのメールアドレスを使い分ける理由

私はYahoo!メールとGoogleメールを合わせて5つ使い分けています。その一番の理由は「保存」です。まるでハードディスクにデータをバックアップしているような安心感があるからです。

hotmailは転送メールが届かないトラブルもよく聞きます。実はgooメールもたまに届かない、あるいは数日遅れて届くことがあります。だから結局、比較的安定しているYahoo!とGoogleに落ち着いているのです。

Niftyのメールは、迷惑メールフィルターが以前はひどかったためあまり使いませんでしたが、今は快適です。昔から使っているアドレスなので、手放しがたい存在でもあります。

結論はやはりGoogle

結論として、最近一番快適だと感じるのはやはりGoogleです。信頼感が違います。

2004年、年の瀬の慌ただしさの中で

2004年も残り3週間となったころ、年末は慌ただしく、予約も少しずつ埋まり始めていました。特に新百合ヶ丘での活動は週1回でしたが、年末は皆さん忙しいようで、予約はすぐに埋まってしまう。ありがたいことでした。

専門家に頼んで気づいたこと

この1年で、ホームページ作りも少しずつ形になってきていました。それまでは何でも自分でHTMLを打ち、試行錯誤しながら形にしてきましたが、あるとき専門家に見てもらったところ、格段に見やすく、整理されたページに仕上がりました。「餅屋は餅屋」という言葉を、このとき初めて実感として理解した気がします。

それでも「自分で更新できること」の大切さ

ただし、当時通っていたIT義塾の塾長が繰り返し言っていたのは、「自分で更新できなければ意味がない」ということでした。プロに任せきりにするのではなく、自分の手で日々の情報を更新できる状態を保つこと。この視点は、それまでの「全部自分でやる」から「任せる部分と自分で持つ部分を分ける」という発想への転換点になりました。

ホームページの内容をまとめていく中で、自分が本当にやりたいこと、やるべきことが自然と整理されていくのも面白い体験でした。ページを作る作業そのものが、自分の仕事を見つめ直す機会になっていたのです。

ワープロからAIへ ― 20年を経て、今伝えたいこと

気がつけば、20年が経っていました。壊れたワープロをきっかけに買ったMacから始まり、Nifty、Netscape、HTML手打ち、サーバー引っ越し、PHPの入門書、5つのメールアドレス、そして「餅は餅屋」と気づいた2004年の年末――振り返ってみると、これはすべて一つの治療院が、その時々のネット環境と向き合ってきた記録でした。

特別な技術者だったわけではありません。むしろ最初は「パソコンを買えばインターネットができる」と本気で信じていたくらいです。それでも、分からないなりに触り、失敗し、直し、また触るということを20年続けてきました。

変わったもの、変わらなかったもの

HTMLを7冊の本と格闘しながら手打ちしていた時代から、今はAIに指示を出せば数秒でコードが返ってくる時代になりました。サーバーの引っ越しも、当時のような「2日待ってドキドキする」ものではなく、驚くほど簡単になっています。

一方で、変わらないものもあります。「無料です」という営業電話の構造は今も同じですし、一つのサービスに情報を預けきる怖さも変わりません。何より、「ホームページを見て来院しました」という一言の重みは、20年前も今もまったく変わっていません。

ひとり治療院にとってのAI・ITとの付き合い方

今、治療院の運営者がWordPressを触り、LINE予約を導入し、AIに文章の下書きを手伝ってもらう――これは特別なことではなく、20年前に私がHTMLを手打ちしていたことの延長線上にあると思っています。道具は変わっても、「自分の手で情報を発信し、自分の言葉で患者さんとつながる」という本質は変わりません。

このサイト「治療院デジタル実践室」は、そうした試行錯誤の記録を、今まさに同じ悩みを抱えるひとり治療院・小規模治療院の運営者に向けて、実体験ベースで届けていく場所です。うまくいったことだけでなく、営業電話に引っかかりかけたことも、サーバー移転で冷や冷やしたことも、すべて含めてお伝えしていきます。

これから

AIやITツールは、今後も次々と新しいものが出てくるでしょう。そのたびに、20年前と同じように「分からないなりに触ってみる」ことを続けていくつもりです。この記事が、同じように試行錯誤している治療院運営者の方にとって、少しでも背中を押すものになれば幸いです。

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