新聞配達をしたのは、小学生高学年だった。山田太郎という歌手が新聞少年という歌が大ヒットし、走ってポストに新聞を入れる人もいて憧れた。

北海道の田舎で冬の新聞配達は、そんな風景とは全く違っていて、始発のディーゼル機関車が駅に着くと新聞を駅に下ろしていく。それを新聞店主が選り分けてくれてソリに乗せてマイペースで配っていった。寒くてしんどいなという記憶が残っている。

中学2年生の時に地方都市に引っ越しした。
同級生が新聞配達をしていて小遣いを稼いでいるのを知り親に相談して、新聞配達をすることにした。
北見新聞という地方紙で、北見市の山下町という繁華街を受け持った。
初めてのスナックやらホルモン焼き、焼き鳥など、大人の世界が広がっていて楽しかった。

受験期になると、担任に新聞配達するにを咎められ、この成績でバイトなんか舐めてんのか!脅されて辞めた。

高校三年生になると、どうやったら都会で自立できるか考えたら、ちょうど新聞奨学生の説明会があり友達と聞きにいってこれだ!と隣町に行く程度の感覚で申し込んだ。

卒業して上京して最初に向かったのは大手町の日本経済新聞社だった。ビルだらけで、ここが人生スタートだと身震いした。

ドナドナよろしく、新聞社で専売所に決められ同級生とは、ここで別れた。
連れて行かれたのは、荻窪五丁目で、ビルがないところで、東京で、こんな場所あるのかと思った。それは太陽に吠えろという番組の見過ぎで、東京は新宿みたいな場所だと思い込んできた。

今日来た人と話していたが、新聞の勧誘はシツコイな営業はないと盛り上がった。専売所に住み込んでいたら、拡張する人が、専売所で営業マンを雇う。これがほとんどヤクザみたいな人たちだった。特に悪質なのは、朝日新聞でよく週刊新潮や週刊文集で特集が組まれるほどひどかった。インテリが作ってヤクザが売ると言われたのもこの頃だ。

今日きた人は、しばらく東京都で電気の検針をしていた。検針なんてどこで探すのかと思ったらよくフリーペーパーで募集しているそうだ。なかなか給料がいいんだみたいな話をしていた。新宿は特に外国人が多かったりするので、検針がすごく難しくて、ここに勤めている人たちはかなり訳ありの猛者が多いと話していた。いろいろな仕事があるなと思った。

この歌で新聞配達した人もいると思います。
テレビの影響は大だな。


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