×
タグ:

子どもの頃は、生きていることが当たり前で、楽しいとか辛いとかを意識したことはなかった。毎日ただ遊びに夢中で、ガキ大将から逃げたり、隣町に殴り込みをかけて捕まったり、そんな風に力いっぱい動いていた。

けれど小学五年生を過ぎたころからだろうか。「辛い」「楽しい」と心が揺れる感覚を知ったのは。子どもにとって世界は狭く、時に閉じ込められたような気持ちになる。卒業式の日に命を絶った子のことを思うと、もう少しゴロゴロしていればよかったのに、と痛ましさを覚える。

高校までは夢を見ているような時間だったが、卒業後は社会のマナーを覚える苦痛の連続。余裕がないと、人との出会いのありがたさにも気づけない。ようやく30歳近くになって、「余裕のないときには何も見えない」ということに気がついた。

専門学校で出会った友や師匠は、そんな自分の価値観を壊し、新しい視点をくれた。人の時間の流れをそばで見ていて思うのは、人生は死ぬまでドラマチックで、分からないからこそ面白いということだ。

だからこそ、余裕のないときはゴロゴロと隠れていてもいい。頑張りすぎる必要はないし、投げ出してしまう必要もない。ただ、ひそかに自分だけの企てを持って生きていく。それが案外、人生の支えになるのかもしれない。

投稿者

akebonobashi.naganuma@gmail.com

関連投稿

タグ:

高市早苗さん、総裁選おめでとうございます

高市早苗さん、自民党総裁選ご当選おめでとうご...

すべて読む
タグ:

0800の迷惑電話対策は出ないことと・・・

最近、日本でもロボコールを悪用した詐欺が急増...

すべて読む