夜の鍼灸学校

鍼灸学校に入学した時は、まだ昭和60年代でバブル真っ盛り。 学校が歌舞伎町の中にあることもあり、夜間部だったので、行きも帰りも 呼び込みのお姉さんやポン引きのお兄さんがいてなかなか大変だった。

きれいなお姉さんだなぁとぼうっと見ていたら、綺麗なお兄さんだったり、だんだんと道を選んでみんなで歩いて帰るようになったけれども、それでもなかなか大変だった記憶がある。
クラスの人もいろんな人がいて、すごい個性的。 学校の先生は大変だっただろうなと振り返っても思う。 つまらない授業だと1番前で先生の目の前で弁当広げて、毎回食べてる人とか 授業がつまらないとブーイングする人がいたり。 授業をボイコットすることもあったが 1人の年配の先生は、とうとう登校拒否になってしまった。
当時の私の鍼灸学校は、生徒の草刈り場のようで、流派のスカウト場か?と 卒業間際に感じたことだった。 質問してもこれ以上の事は勉強会で教えているとゆうた大御所先生がいた。

解剖学の先生だけはとんでもないと怒っていたのを覚えている。
私のクラスの時代は、ひどかったようで、 しばらく大学卒業生は 理屈っぽいので入れないと言う暗黙のルールが 数年続いたと後で聞いた。 なかなか厄介な人が多いと思っていたが、出張のマッサージに行くようになると、それどころじゃない人がたくさんいて、学校の個性的な同級生たちは 良い出会いになった。

入学当初言われたのは、五年以内の開業率は3%と 最初に言われちょっと焦ったことがある。 でも、10年後振り返ってみたら、半分以上の人がこの業界にいたので、そこそこ、うちのクラスは優秀だったと思う。

鍼灸学校の先生とお話しすることがここ10年ぐらいあったが、こんなに親切になったのかと思うほど手取り足取り教えてくれて驚く。

私の最初のマッサージの先生は今は学校のかなり偉い先生になっている。当時は1回見せて全く教えてくれない。質問も技術論は僕は言わないと言ってもわからないしね。ここから先は弟子入りしろみたいなことを言っていた。その先生が学校のプロモーションビデオで めちゃ親切に教えていてずるいやんと思った。
時代は大きく変わったんだなと思いました。

当時の歌舞伎町は結構緊張感があって、鳥肌が立つような感じがあったが、新宿に移転してから、これは石原都知事からだと思うが 新宿を安全にすると宣言し、20年前にはリラックスして歩けるようになった。

特に大久保は夕方以降はちょっと 立ちん坊の人が立ち始め、別世界になっていたが、冬ソナブームが席巻し、おばさんたちが押し掛けるようになって、新大久保は祓われた感じがする。 連れ込みホテルがたくさんあったが、韓国の店がどんどん進出し、お店ができ始め、夜でも職安通りは普通に歩けるようになった。