この講演は2019年4月28日東京医療福祉専門学校で行われたものです。
鍼灸関係者で経絡を知らない人はいないだろう。しかし、東洋医学概論通りの経絡が本当にあるのかないのかあるとすれば、それは何なんであろうか。かつて戸ヶ崎正男氏は、その答えを求めて本を読み漁り、そして傑出した本に出会った。
去年は経絡とは何かと言う話をしました。 今回は第二回ですが、完結しておこうと思います。
完結といっても、現在の私の臨床の中での完結です。 将来変わるかもしれません。
前回は藤木敏郎先生の 経絡論を中心にお話ししました。
何故藤木俊朗か?
研究ばかりではなく臨床の立場から展開されていて、この人の仮説に匹敵する本に出会ったことがない。
ということで取り上げた。
皆さんが東洋医学概論の経絡は、霊枢経脈編に基づく経絡論なんです。
非常に完璧に近い。完璧な形で展開されている。
ほんと?と思いながらずっといた。
藤木先生は一定の考え方を持っているという展開とどういう理由で出来ていて、臨床的にどう活かせるのかというところまで、話しを持っている先生で研究する課題と臨床的に追試する内容を含んでいるので取り上げた。
経絡に対する藤木の視点
「 経絡について、現在はすべて霊枢という本の経脈編に述べられている説を採用して疑うことを知らない。それによると正式の経絡は手と足に6本ずつ。すなわち陽経として太陽、陽明、少陽、陰経として太陰、少陰、厥陰の合計12本がある。そして陰経は特定の臓と、陽経は特定の腑と密接な連絡がある。またハーヴェーの血液循環説のように、体内から手の太陰肺経に行き、手の陽明大腸経にスイッチして顔で足の陽明胃経に移り・・・・・・というように12の正経を休むことなく循環しているという。
このように秩序整然とした体系が最初から考えられたはずがない。経絡の体系はもっと素朴な実際の経験に適応する形で観察され、考えられたに違いない。」
というのが藤木の視点。
僕としては、実際の事実があるに間違いない。 事実を集めていく それにプラスして理論をかぶせていく。 それが人類がやってきた理論化の道だと僕は思っている。 事実が先と言う視点なので、 これに関しては共鳴する。
皆さんが見ている現実は、理論が先。 理論があって、事実がくっついていく。 どっちがいいのかは難しい。 まず理論がある事はとても大事。 理論がないと手がかりがない。 理論がどういう過程でできたのか。
経絡とは何かと言う。
いろんな側面で考えていくやり方がある。
1つは、哲学的な側面。
考証学的な側面
臨床的則面
私の場合は、臨床的な側面に+いろんな文献を加味してやると、実用的な面ということで藤木先生を選んだ。
前回は藤木氏の経絡説を臨床に生かすという話をした。
今回は、復習と私の考える経絡論を仮説としてあげます。
藤木先生のポイントに1つに4経絡説というのがある。
もともと12はない。
12があるというのは、それが全て。
先ほど松田先生が話された通り12を持って1(全体)という発想が前提にある 。
現実の中で、臨床をやってく過程では、 こういう発想でやっていくということでは必ずしもいえない。
4経絡から入ったという流れがひとつあり、これが非常に面白い発想だった。
身体の前面、側面、後面 の3つに分けた
身体の前面を陽明とした。
身体の側面を少陽とした
身体の後面を太陽とした
がよく見える面の1つの分類
よく見え面これが太陰だという
陰と陽で分けた
さらに体の肢位で分けたというのが、始まり
これは、素問の説から展開している。
この経脈説が面白い。
陽経から始まったというのが仮説として挙げている。
伝統的な勉強していると陰が大事となる
現実は陽が大事だった。ぷらす何から展開されてきたかというと大体痛みでしょ。
歯痒たいとか肩が痛いとか頭が痛いとか。腹が痛いとか。
非常に素朴なところから始まったのではないかと
プラス運動器系の問題
これは藤木先生の世界から外れるが、経筋がありますが ある先生方からすると、 出発点は経絡ではなく経筋から入ったのではないかと という説がある。
陽経から最初発見されたのではないかという面白い発想
では、非常に臨床に生かせる内容なんです。
陰陽十一脈灸經というのがある。