経絡とは何か-藤木敏郎の世界(経絡成立の過程)#2
戸ヶ崎正男先生の講演より。
陰陽十一脈灸經というのがある。
馬王堆から出てきた、経絡論の一番古い文献
陰陽十一脈灸經に何が出ていたかというは「歯脈」「肩脈」「耳の脈」
「歯脈」が陽明なんです。
「耳の脈」が少陽
「肩脈」が太陽なんですが、これは手を分けている。
十一脈灸經なので手と足が分けている段階の説なんです。
手の陽明は皆さんいうところの大腸経ですね。
大腸経の主治症を調べると面白い
「歯痛」がいっぱい書いている。
合谷だけで満足しちゃいけない。歯が痛いとき、温溜だって偏歴だって陽谿だって曲池、臂臑だって肩髃だって何だって歯の痛みに効くことになっている。
「耳の脈」だったら今は少陽三焦経です。
これ全部耳に効く。
経脈というのはそういうふうに出来ている。
経脈というのは、関係性を捉えたものです。
手の少陽三焦経は全部耳に効くと考えていい。
どこのツボが効くというより経脈上どこでもいい。というのが考え方なんです。
手の少陽三焦経は肩から肩甲骨に行っているでしょ。
少陽経は何でも肩の問題に効くというのを、その言葉が表現している。
そういうものとリンクさせていくと最初部位があってその部位が経絡線になっていく。
元々は線じゃなかったんじゃないかという仮説も立つ。
経筋だと筋肉の表層筋の関係性ですから当然面なんですね。
だから最初から結果を見ているか神経を見ているかなんですね。
僕が一番面白かった興味を持ったのは、この四経絡説なんです。
それから四経絡、見えないところ、太陰というのは、まず内部、だいたい解剖学的肢位じゃない。真っ直ぐ立つ。
真っ直ぐ立った時に見えないところ、見えにくいところがどこか?
そうすると内側でしょ。
足の内側、手の内側、内部、内臓ですね
これが見えないところ
それをまとめて、太陰といった考え方
そういう展開から、さらに
四経絡から入って六経絡になる
六経絡は手足がないときの説。
陽明、少陽、太陰で次にどこが出てきたかというと、この内側が出てきた。
太陰は今の太陰脾経ですけれど、太陰、少陰、厥陰分化されて行ったという流れがある。
さらに手足が分化して、十二経絡になった。
最終的に臓腑と繋がったという考え方なんです。
これを想像ではなく素問霊枢の中にある考え方を基本に展開しているのが彼の凄さなんです。
これを前提に僕は臨床をやってきたわけですが、それをお話すると。
前面、顔の前面、目や鼻、歯の異常、手の陽明経上のツボ、これは全部、陽明経が支配している。
足の陽明経が処理できる。
手も当然陽明経なんで処理ができる。
逆に言うと何処のツボじゃないんです。何処のエリアなのかということなんです。
結論いうと上下の関係性を整理したのが経絡なんだと。
それを出発点として四経絡から入ったというのがこれの考え方なんですが臨床にこれが活きるんです。
このツボは何に効く、などコンピューターじゃないので覚えられない。
大抵は忘れちゃう。
ところがこういう発想を頭に置いとくと何処でもいいんです。
特に膝から下とか肘から先など
四肢末梢が何故要穴になるかという理由になるが取り敢えずそこを用いるとかなりいいわけです。
ただその時にどういう前提が必要かというのは、また別になる。
ようは前面にあるものは、顔だったら足が効果がある。
素問にも出ている、上は下、下は上、左は右、右は左、前は後ろ、後ろは前に取れという呪いのような経験則がある。
だからそういう大雑把なことを知っておくと臨床では応用が効く。
これは非常に活かせる。
側面というのは、頭部、耳とか脇のところとか、そういうところは全部足のところ、手のところと関連している。
結論をいうと、体幹と四肢抹消との関係性が整理されている
後面は太陽ですからこれは、分かっていると思いますが、
四総穴というなは誰が作ったかというと
面口は合谷にとれ
肚腹は三里にとれ、これは前面のことを言っている。
簡便で現穴なので効果的な部分がある。
腰背は委中に取れ
これは何を意味していたかというとそういうことなんです。
こういうものを前提に展開された。
臨床的に効果がある。
だけどこれは素人なんです。
玄人がヤチャだめなんです。
玄人がやるとしたら、どうするかというと切経するんです。
切経探穴するんです。そして見つけるんです。
そういう展開なんです。
昔は経絡から先にできたという考え方がある。
僕は反対だと思っている。
経絡から先に出来て、経穴ができたという説がある。
それはそれで面白いんですが、たとえば頭痛がする時に厥陰経を使えとか指示があるとすると腰痛がある時に少陰経を使えとか指示があるんです。
少陰経なんです、素問に書いてあるのは
厥陰経なんです。何処のツボということになるでしょ。ツボがないんですよ。ほんとは。
ツボがないじゃなくて経絡を全部探せなんですよ、それの方がよほど効果が出るということを示唆していると僕は思っているが、今の人達はそう思っていないかもしれない
取り敢えずそういうことを展開したというのが一番のポイント一つで、これは運動器系の問題を処理する時に非常に役に立つ考え方なんです。というふうに私は考えている。
臨床に活かすとで、先程の話を、もっと展開すると陰陽で分かれているでしょ
陽明と太陰、裏表なんです。
裏表、一か二、だけど一
陰陽は二元ではない。陰陽一元
身体前面の浅いところが陽明経なんです。
深いところが太陰経
陽明経が表層なんです
陰陽論は相対概念なので何処から何処というのは難しい。
深いところが太陰経が支配している。
そうすると前面はこの2つで支配している。
この後、病因、病期がある
どういう時に太陰になっていくかというと、病が進んだ時なんです。
表から裏に移行する、という時系列で考えていく、病期がありますが、病期で陽明から太陰にいく
慢性化疾患で時間が経ったら両方やるんです、あるいはどっちかに出る。
全くあの線で考えたらダメなんです
あれはセンスがない。笑
線じゃない、面あるいは立体なんです。
だから頭を3Dに変えたほうがいい。
そうでなければこれは理解できない。
ということで前面は、この2つが支配するというふうに考えてください。
そうすると更に展開する。�線で考えるから線上で脾経だとか胃経っだとか、違う。この真っ直ぐの深いところと浅いところでまず陰陽を分けているからどっちやるかっていたら病期を考えても出来るわけです。
それだと陰陽だと外が陽で内が陰だから内に問題あったらどっち使うかといえば陰経なんですよ。
胃経がこっち側に行って脾経がこっち。信用できないですよ、僕は前から信用しなかった
経絡図みて分かるように胃経って真っ直ぐ行って、こっちいくでしょ。これ嘘ですよ。脾経がきて外側行くでしょ。
信用できない。
真っ直ぐ行くんっだから真っすぐ行けばいいでしょう。取り敢えず、線だけなら。 陰陽だから陰だったら太陰は内側でしょう
内側と深いところが太陰経の支配領域なんです。
外側と浅いところが、陽明領域。なんで内側に行ったか知ってる?内側に線持ってこないと拙い。
胃は何処にあるのか胃を浅く持ってくると内側に持ってこざるえない
胃経が胃と絡んでいるなら内側に来ないとまずいでしょ
脾経は何処、脾経は脾臓ではなく膵臓です。膵臓はもっと外でいいので外側になっているでしょ
膵臓は ヘソの脇に入っているでしょ
解剖学がちゃんと出来てないとだめなんです。
ということで内蔵との関係で線引したというのが一つの仮説なんです。
この図、臨床的に信じちゃダメです。臨床に対して。
胃経はこのまま真っ直ぐ行くんです。
真っ直ぐ行ったほうがいいんです。
浅いところはこっちもあるのです。浅いというのは何かというと深さでツボを探すでしょう。
深さ、天人地で探すんです。浅いところ、中間、深いところ
深いところにあるのは脾経使えばいいんです
浅いところは胃経使えばいい
というふうになるんですよ
鍼の深さは相対的です、あとは感覚的です
中医学は深さと方向と時間
中国の文化、理論体系と日本の考え方は違う。
これがどんどん展開される。
少陽経
三焦経や心包経はあまり意味がない、臨床的には
三焦経は全体との関係性
内蔵の膜みたいなもの
心臓以外を栄養する媒体ですから
三焦経って概念的におかしい
ここだけに通じていてどうするんだ
三焦はやはり三焦なんです
心包もおかしい
これは黄老思想だと思う
君子は何もしない
心包は心膜というが違いますよ
いわゆる心を守る、あるいは心のスポークスマン、あるいは心の機能を代行しているようなもの
だから現実一緒なんです。
実際的なことを考えると、非常に臨床的におかしなことがいっぱいある
肝経は何処にあるか。
少陽経、厥陰経あるいは心包経あってもいいけど、何処にあるからというここです。
真っ直ぐ線を引くでしょ。あれ線引くから間違いなんです
浅いところに走っているとおもう、浅くないんです。
胆経が浅いところを走ってるとすると
脾経と立体をイメージしないと。脾経と肝経が時々交差するでしょ。あんなのどうでもいい。ようするに中走っている
脾経よりも脇を走っている。ある意味、中央を走っている。そのまま真っ直ぐ上げてみると側腹部に行くでしょう。
そこに何があるか。
肝があるでしょ。
少陽経、厥陰経は不即不離なんだから側面を支配すると同時に内部を考えれば内部の中心辺りから外側にあるということ。
で目なんです。それも陰陽論に則っている。内側にあって内部にあるから。
少陽、厥陰は対になっている。
これは後で臓腑との関係で説明します。
そうなるとそういうことが言えるかというと運動器系だったら側面の問題について、 具体的にいうと、耳鳴りとか目眩、目眩は左右のバランスが崩れた時、耳閉とか片頭痛とか、かなりのことが少陽経、厥陰経で対応できます。
目眩が蔵象論的に肝の変動とかいいうけれど、これはこれで意味があるがそんなこと考えなくていいんです。
部位の関係性でやるとね。
少陽経が初期の段階を対応するとすると慢性化してきたら厥陰経使えと
後は女性の疾患で生理不順、不正出血とかにも使えるわけなので、当然外傷性初期とも関わるんですが、取り敢えず部位間の関係で行くと、そういうふうに考えた方がいいです。
もう一つは陰部をまとうんです。経絡は。
それも一つ
全く教条的に考えてはいけないのは、臨床的にも男性性器(?)との関係は肝経は強いことは間違いない
これはちょっと頭に置いといて、例外的に理路整然とは出来ないということで頭においておいて。
太陽経 は背中でしょそれなのになぜ 小陰経は前を走っている?
これ嘘なんです�任脈から外方5分走っている。
ここに描いちゃダメなんですよ。
描いたら どういうことかって言うと例えば矛盾することばかりです。
どういうことかと言えば、例えば腎経はアキレス腱の内側から上がるでしょ
そのまま上がったらどこに行きます?
このまま上がったら肛門でしょ。 会陰でもいいがどっちにしても後ろなんです。
という事は肛門もまとうと書いてあるんです。 ずっとそのまま上がると。 なぜ腎経という言葉ができたかということを含めて考えると また面白いです。腎経は後ろなんです。
解剖図が悪いのは、側面が写ってないことが多いんですね�腎臓が後ろなのに、腎経と絡んでるのなんてどうですか?
肛門から来るとつながってくるじゃないですか。
太陽経が背中側で表層で尚且つ少陰経は内側なんです。尚且つ少陰経は内側をはしる。
背中側の深いところが内側なんです
もう一つ考えなくてはいけないのは 化け学で陽子と電子の関係性のモデルがあるじゃないですか。
陽子の周りを電子が回っている あのモデル見るとセットで回ってると思うでしょ、 あれと同じです。
後になったら確率論的に回ってい、 どこを走ってるか分かんないから雲のようなものです。
電子雲です。
あれと同じです。 確率的に通りやすい場所というのがあるのです。そこだけを通ってるわけじゃない と考えると面白い。
とりあえずこのまま上がる。 ということで、内臓はともかくとして。 この2つだけでもすごく意味がある。少陰経が腰痛に使えるんです。
背中の凝りに使えるんですよ。
腰痛が複雑になって治らなかったら、腎経使うんです。
どうしたらかなり早く治る。
鍼灸大成 の著者が四総穴を出した。
あの発想は面白い。素人を誤魔化す、素人にはいいが ここは一般の人ではなく、プロの人に 言っているわけ
腎経が腰痛に効く 腎は蔵象論だと当たり前に思うかもしれないが、経絡論的にも意味がある
さら言うと華佗穴なんか嘘です。
華佗穴こそ少陰経です。
華佗はペルシア人なんです。 アラビアの方から来た。
華佗穴こそ少陰腎経の流れ
これが大事なポイントの一つ
これを唱えて発展させたのが今の話です
藤木先生は今の話まで展開していません
もう一つ言うと手の陽明経
手の陽明経のルート
肺経が肺の方に流れるのは確かなんですが、 肺はもう顔に使います
首とか肩にもつかえる
臨床的には反応があるところはどこでも変化しちゃうんです
ツボにしっかり反応があると、どこでも変えられるんですね
今日は経絡論なので、経絡で考えた時に陰陽というのは、 100円の裏表 と考えていいんです
すると 肺経と大腸経のラインは一緒くたなんです
一蓮托生なんです。
だから使えるんです
手で言えば中心から外側が太陰でしょ
内側が少陰なんです
厥陰はあるんですが、まずは2つで分ける
陰陽十一脈灸經で十一といったのは、 かなりはっきりしているんですね
同時に、内側の反応 心臓との関連で 昔からあったようなんですね
今の医学でも取り扱っているように
いずれにしても内側と外側は不即不離ということを僕は臨床で発見した。
という事は、首のこり、肩こりや頭痛を含めて陽経だけでなくていい。
時間が経過して なかなか治らなくなると陰に移行するんです。
陰使っていい
陰にして一
別々のものだと思うから陰陽二元で考えてはいけない。 別々ではない。
上下と言う関係性を整理して 陽と陰に分けたときに何が入れるかという整理なんです。
それを今お話ししたわけなんです
手の大腸経、内臓との絡みですね
藤木先生は何を言っているかと言うと これは経絡学派と臓腑学派がいて その2つの会合がある時期あった。
重なる時期があって、誰かが経絡論と臓腑病症論を展開した人がいるという仮説を立てるんです。
そういう中で臓腑と経絡が結びついたという考えなんです。
から結びつきは直接的ではないということなんです。 非常に希薄なんです。 ところが皆さんは経脈編を教わっていくと皆臓腑と絡んでいくんです。
ありえないです
何故かというと臨床的に手足の抹消だけで臓腑を変化させられるか?ということなんです。
この道40年、臨床経験の中で内臓を変えられるのはどこか やはり前後ですよ
前は後ろ、後ろは前、腹部、背部です。
これだけは間違いない
そういう二義的であると言う前提立った時にまた更に問題が
肺と大腸が
心と小腸
どうなる?
手でもいいんだけど、これで腹がゴロゴロ、再現性というものがあ 1000回やって、1回位は ありえないということ
確率的にあるとすると偶然そういう現象に遭う人もいるけど、理論というのはそれではダメだと思う。
40年間やってきた中で お腹を動かすのに1番良いところはどこだと思います
お腹を動かすのに1番良いのはお腹
次は背中
次は足ですよ
だから、大腸経はここにない
という結果を得ている。
だから、こんなところ使っても便秘は治りませんよ
それから小腸
順番としてはお腹、背中、足です
なんでこんなことをちゃんと言わないのか
臨床ありきですから
我々の世界ではね
食えなかったら何にもならないですよ
現実効かなかったら患者さん引いちゃうんですよ
小腸経大腸経はないし、 面白いの霊枢の経脈編に是と所生という 文章を展開している内容を見ればわかる
陰経に関しては内臓との関係を表現しているけど、陽経に関しては腑との関連は一切やっていない。
もう一つ方向の問題があります。
針の方向があるのかどうか
これも後で読んで欲しいんですけれども素問と霊枢を研究してきた藤木先生とっては 方向に3種類ある。
どっちとも言えなくなるわけですね、理論的には。
と言うことで、あの仮説も成り立たない、と同時に 丸山昌郎先生が実験しているんです。
鍼を刺して、刺した時に方向に関係なく 反応は1つの響きというのは行きたいところに行くという結論に達してんですね。
流注、流れの方向は必ずしもない結論になている。
そういうことも含めてちゃんと知っておく必要がある
ただ、自分の臨床で あるんだったら、それはそれでいいだけど、 あるかないか分からないことを信じて生きて へ行く事は寂しいことじゃないのかなと
自分の臨床に確信を持って望んで欲しい ためにこういうことを言っているわけです
で効果がない。治療をやっても、人は集まらない。
ということで、針先の方向 補瀉迎随の中にありますが、 補法は経絡の流れに沿う、瀉法は逆らう
基本的に別の意味で違う考え方を持っている先生は多いんです。
中医学の中では全否定ですね。
日本だけですね。伝統鍼灸系の人が信じている人が多い。
僕は信じてると言い方はしないんですが補瀉迎随の迎随は違う意味だということは前から言われています。
ここはあまり入らないようにしたいと思います
経脈の方向に関してもない結論で、
逆に言うと治療ということを考えた時に 1番効果を出せるのは経絡上のツボはどこでも、ある病症、病態に効くんだということと方向を考えないとそういうことが言えるかというと、結論的に場の状態、異常な場を捉えて適切な針をする。
方向に関しては、どの方向でも、いいんじゃななくて、どうゆう方向に鍼したら響きだスムーズかという方向がある。
それは必ずしも経に沿うとか沿わないかということではない。
経絡が縦にあった時に横に鍼したほ方が効果があったりする。
あまり窮屈な理論自分に課していると臨床があまりにも応用が利かない。
これをいいたいと思うんです。
もう一つ、大事なのはこの和ら会というのは、手を作るってことしかないそういう意味で言っているわけです。
手ができてる人はいいんですけれども 、今後手を作りたい人はもう触りまくれ
触るしかないと言うのが結論です
僕も経絡を臓腑論で考えていた時期があるんですけれど 、やっぱりそれもなかなか臨床と結びつかない。
結局体幹部の治療を経絡の限界ということを前提に考えると当然別のことをする必要が出てくるんですね。
その時にお腹と背中の関係を使うことで、蔵象病症はかなり良くなるわけです
それが、この藤木さんの 考え方を生かした 結果であります
最後に督脈と任脈 天と繋がる 僕も天とつながっていると思っている。
天地の意味は、督任中心療法を出す天地と気で交流している、そのアンテナみたいもの、 大動脈と脊椎はくっついているんですよ
背中合わせってやつね
これは何を意味してるかわかります
任脈はお腹なんですけれども、お腹にはないんですよ
深いところ
任脈は非常に深いところなんです
大動脈こそ任脈
脊髄こそ督脈
伝達機能と栄養機能 が合体した場所がここですよ
ここに天と地からエネルギーが入ってくるんです。
面白いでしょう。これは ロマンです。
だから姿勢ちゃんと正さないとダメなんです
別の言い方をしましょう。重心と 地球は中心が 結びついているでしょ
地球と他の惑星、恒星の中心もそこにあるのです。
中心から来るエネルギーを貰えるという 壮大なことなんです
別の言い方をするとブラックホールがホワイトホールがこれからの課題。
ブラックホールは吸い込んでいるんです。ほんとに吸い込んでいるのかと。
いまだに信じられない。
宇宙の中心と地球の中心はつながっている。
だから、天地と任脈、督脈はつながっている。
気功や太極拳でそういうエネルギーを入れる意味がある。
同時に治療で天地の 気を入れられる任脈、督脈を使わない手はない。
で督任中心療法作ったわけです。
エッセンスは話しました。
これで代表講演を終わります。ご清聴ありがとうございます。
参考:「経脈に関する確固たる最古の文献は、地上で伝存してきた書物ではなく、地下に眠っていた出土物である。代表文献には中国湖南省の省都、長沙市の東郊外にある馬王堆の前漢3号墓から出土した医書群がある。そのひとつに絹布に書かれた帛書で、発掘後に『足臂十一脈灸経』と名づけられた文献がある。これは図1のように当時の篆書で記され、足と腕の11の経脈に灸をするための文献だが、内容は『霊枢』経脈篇の前身であった。
 これらの文字は現在ほぼ完全に解読されており[1]、たとえば図1の第1行は「足泰(太)陽温(脈)出外踝窶中…」と釈読できる。ただしアンダーラインをつけた「温」の文字は、実際は「曰」の部分が「目」で、この文字は「脈」に解釈される。当部分は『霊枢』経脈篇の「足太陽之脈…(其支者)…出外踝之後…」に対応していた。また図1の第5行では「足少陽温(脈)出於踝前…」と記されており、『霊枢』経脈篇の「胆足少陽之脈…(其直者)…出外踝之前…」に対応していた。『霊枢』は清朝の後期に偽書といわれたこともあったが、この例からも確固たる根拠のあることが分かる。
 しかも『足臂十一脈灸経』だけでなく、馬王堆からは『陰陽十一脈灸経』甲本・乙本と名づけられた類似内容の帛書も同時に出土している[2]。3号墓は紀元前168年から数年内に埋葬されたと推定され、馬王堆医書も前2世紀の埋葬となる。ただし馬王堆医書自体は、字形の特徴から秦代から前漢代の筆写であろうと推定されるので、内容の淵源は先秦に遡る可能性もあろう。
 これら馬王堆医書の記載から次の知見が得られた。第一に経脈は後世の五臓六腑に対応する11本を認識しているが、現在の心包経と任脈・督脈に該当する経脈の記載はない。つまり『霊枢』の経脈編で確定された六臓六腑に対応する十二経脈とは、後世の概念であったことが分かる。灸法は「諸病此物者、皆久(灸)足泰(太)陰温(脈)」のごとく記すのが大多数で、穴名はなく、経穴に該当する部位の記載もない。灸はおもに手足のみで、どうも体幹部には行っていない。鍼(箴・針)法の記載もなかった。
 すなわち経脈概念がまず先に成立し、経穴は後に確立された概念だったと推定できる。また経脈概念を用いる治療では灸法が先に開発され、その後に鍼法が開発されたであろうことも、これらの文献から推測できた。」経穴部位標準化の歴史的意義 :真柳 誠(茨城大学大学院人文科学研究科)
師匠の督任中心療法の発表を聞いて驚いた事がある。
卒業して開業するときにある人の伝で神様をおろしてもらったことがある。 その時に神様に言われたのは、任脈と督脈で整えるという手があるぞと言われたが、その時全く任脈と督脈を使うことなだ実感になかったのだ。
正直ってどうすればいいのさと思っていた。 開業して7〜8年目に師匠が 発表されたと思うが あーこんなやり方があったんだと思った。灸で響かせる実感なかったんです。
やっと自分も今現在督任療法を 使うことが多くなった。
それにしても何度も聞き直しながら書き起こしていくと、漏れ落ちていたことがこんなに多かったのかと恥じ入る。